「世界谷地」の次に向かったのはこの近辺の2つの渓谷の1つ「厳美渓(げんびけい)」だが、ここはやたらと混んでおり、駐車場に100mほど車の列ができている。なんで?仕方ないのであらかじめ調べてあった近くの「道の駅 厳美渓」に行き、ここでも少し待ったが車を停める。この中にある餅料理--一関市の名物らしい--と麺類の店「ペッタンくん」で、餅が9種類乗ったプレートで昼食にし、「厳美渓」に歩いて行く。
ここは渓谷美はまぁまぁってところで、いかにも昭和の名所と言う感じなのだが、ここの園地の真ん中辺に、50mほどの人の列ができている。何だろうと思ったら、対岸の団子屋さんから、ロープに吊ったたらいに団子を入れて、そのロープを手繰ってもらって買うという、いろんな観光案内に載っているここの名物が、ネットでバズったのか、みんなこれをやりに来ているようだ。なんたるミーハー、付和雷同。近ごろの観光地はこういうところに人が集まるのよね。
渓谷沿いに少し散歩してから車に戻り、5分ほど走って今度は「達谷窟(たっこくくつ)毘沙門堂」(達谷西光寺)に向かう。ここの駐車場も混んではいたがやはりちょっと待ったら停まれた。ここは坂上田村麻呂が開いたと言われるお寺で、大きな岩に食い込んで建てられた「毘沙門堂」がなかなか豪壮だ。
ここでは毎月3日に月例祭が行われるということで、それが何時から始まるのか最後まで分からなかったのだが、「毘沙門堂」の下まで来たら、中から太鼓と笛の音が聞こえてきた。入って見ると色とりどりの鮮やかな衣装を着た男女の若者が、音楽に合わせて踊り狂っている。おお、ちょうどいいタイミングで間に合ったのね。
岩に彫られた大仏や、特別公開しているという本堂などを観てから出口の方に戻ってくると、こんどは出口付近で腰から背中へ2本ずつ2mほどもある白い尻尾をはやし、黒地に派手な模様のついた衣装に身を包んだおじさんや若者が7人ほど準備をしている。やがて彼らは「毘沙門堂」前の広場まで行進し、そこで太鼓を叩きながら輪になって踊り始めた(冒頭の写真ね)。
どうやら月例祭の一環として披露された、平泉のお隣の奥州市の指定無形民俗文化財となっている「行山流都鳥鹿踊」という踊りらしい。なかなか豪快で見事なパフォーマンスだ。いやいや、ここでは偶然にも珍しいものに出会えてよかった。これらをじっくり観ていたので、この日は当初の予定を1時間ほど押して宿に戻った。
4日も朝からいい天気。この日はまず慈覚大師が開山し、奥州藤原氏が手厚く保護したという国の特別史跡「毛越寺(もうつうじ)」に向かう。当時の建物はみな焼失してしまったが、藤原氏が求めた仏国土(浄土)の姿を具現化した広大な庭園が美しい姿で残っている。ここでは松尾芭蕉の句碑を観てから本堂に参拝し、その庭園--一部きれいに紅葉した木があった--をぐるっと歩いて周った後、「宝物館」を観る。ここにはそれほど貴重な資産はない。
それから「毛越寺」の隣にある、藤原氏二代基衡の奥さんが建てたというお寺の遺跡、「観自在王院跡」を観に行く。ここは2日に行った「柳之御所跡」と同様、池は美しいが基本的にはところどころに木が生えた庭園なので、それほど有難味はない。
車に戻って少し移動し、今度は「高館義経堂(たかだちぎけいどう)」に行く。ここは頼朝の圧迫に耐えかねた藤原泰衡の急襲に遭い、義経が最期を迎えたとされる場所で、駐車場から坂を登って行くと、ここにも芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」の句碑--実際にこの場で詠んだとされているようだ--があり、さらに階段を登って行くと、小さなお堂に義経の木造が祀られている。ここから東側に広がる北上川の眺めはなかなかよい。
カミさんが宿でなくして見つからなかった安物の腕時計が出てきたという連絡が来たので、ここで一旦宿に戻り、そこから車で30分ほど走って、この付近の2つの渓谷のもう1つ、「猊鼻渓(げいびけい)」に行く。途中広大な田んぼの中をまっすぐに伸びる道が気持ちいい。
「猊鼻渓」は北上川の支流砂鉄川沿いに切り立った岩山の間を、船頭さんが操る30人ほど乗りの細長い遊覧船で上り下りするのだが、「毛越寺」にはけっこう多くの観光客がいた一方、「高館義経堂」にはほとんどいなかったのが、ここ「猊鼻渓」は紅葉の時期の連休だからか、すごい数の観光客が、遊覧船のチケット売り場に列をなしている。ちなみに今回の旅では海外からの観光客は、中国人は多く見かけたが欧米人はほぼいなかった。それぞれのお国のサイトで平泉の取り上げられ方が違ってるのかな?
通常なら1時間に1艘の時刻表になっているところ、この日は随時出発となっていて、18人いる船頭さんもフル稼働状態だ。焦っても仕方ないので、売り場横の「たかこう」といううなぎ&麺屋さんでうな丼を食べ、チケットを買って、13時ごろの船に乗る。
船はいくつかの見どころを紹介しながら30分ほど川を遡って行き、一番奥の「仙帯岩」の手前の船着場に船を停め、ここから10分ほど歩いて「仙帯岩」やその周りの岩を観に行く。ここもまぁいかにも昭和の名所と言う感じではあるが、切り立った岩山は壮観で、岩山の上や途中のところどころに生えた木の一部が色づいたのに陽が当たり、なかなか美しい。
一番奥では「運玉投げ」というのをやっており、「縁」とか「愛」とか「財」という字が彫られた石ころ大の「運玉」を3個100円で売っているのを、対岸の小さな穴に投げ入れることができたら、その書かれた字に沿った願いが叶うという。ぼくらの前の若者が成功していたのを見てチャレンジしたけど、ぼくもカミさんも全然届かなかった。昔は遠投もけっこうできたんだけどなぁ。
帰りは船頭さんがなかなかの声で歌う「げいび追分」を聴きながら下って行き、歩く時間も入れて90分ほどの船旅は、けっこう楽しかった。ここを後にし、当初予定では平泉まで戻って、立ち寄り温泉に浸かってから帰ることにしていたのだが、近頃はカミさんが、やっぱお風呂は寝る前に入りたい、特に今回は車じゃなくこれから新幹線に乗るんだし、と言うので、じゃあ余った時間でどこに行こうかと検討する。
そんではと行くことにしたのは、「毛越寺」「観自在王院」「無量光院」が、その中心線をこの山の方向に向けて建てられたという、奥州藤原氏の信仰の山「金鶏山」だ。山頂に雌雄の金の鶏を埋めたという伝説のあるこの山--というか標高わずか98.6mなので丘と言った方がいいが--は、ナビに表示される位置より200mほど先に入口があり、入口には義経が亡くなった時に一緒に自害した平泉での妻子の墓があって、まずこれにお参りする。
そこから距離はわずかだがものすごい急坂を登って行くと、頂上には「経塚遺跡」という石碑が建っている。周りを木に囲まれているので眺めはよくない。近所の子供の仕業か、頂上に転がっているどんぐりや栗の実を集めて供えてあった。
てことで平泉旅もこれでおしまい。この辺で一番安そうだったスタンドでガソリンを入れ--キャンペーンとかでティッシュボックスを2つくれたが荷物になるっちゅーの--、一ノ関駅に戻って車を返し、小さな駅なのでまだ16:30くらいなのに駅弁が全部売り切れていて閉口したが、コンビニ弁当とビールを買って、新幹線の中で食べて帰って来た。
紅葉がちょっと遅れていたけどきれいなところもあったし、民俗文化にも出会えたし、平泉という平安の独自文化圏の高度な文明にも47年ぶりに触れられた、なかなかよき秋旅になりました。
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