今日帰り道の途中で息子に「運転するか?」って聞いたら、「だって家族旅行しょっちゅうするのって、お父さんが車運転したいからってのが、けっこう大きいんじゃないの?」と生意気なことを言われた。思えば確かに、オレって運転好きだよね。別に家族想いとかって言うんじゃなくって。
そうでなきゃ我が家の歴史22年間で、昔はほんとに3連休さえあれば、今も昔ほどではないけどGWとか夏休みとか年末年始とか長い休みがあればほぼ必ず出かける小旅行の際ずっと、ほとんど--多分95%以上--オレ1人で運転してるってのは、嫌いじゃできないよね。
だけどなぁ、お前はそう思いたくはないかもしれないし、オレもまだなんとか見栄張ってられるからいいけど、歳とともに父も弱ってくるのだぞ。けっこうギリギリなのだぞ。
夜遅くても朝目が覚めるようになっちゃって今日もそうで思ったほどよく寝てないし、午前中炎天下--つっても気温は23度くらいだけど--で2時間テニスしたうえ、6時間も一人で運転するとね。
てことで今日はこの3日で一番の晴天。朝起きたら文字通り空には雲ひとつなく、今日こそはの木曽御岳が、ついにその姿を全面的に表した。
アピアのオーナー親子に車が見えなくなるまで手を振って送られた後、おとといパターゴルフをやったときに予約しておいた、御岳山麓のマイヤスキー場に登って行く途中にあり、立ち寄り温泉施設「やまゆり荘」も併設している、「保健休養地」と言われる場所にあるテニスコートに、再び向かう。
日向はしかし、ほんとにものすごい日差しだ。ちょっと早く着いたので30分繰り上げて10:30~12:30にしてもらったんだけど、南中時刻前から、ほんとに透明で巨大光源のレーザービームのような日差しが直撃する。だけど言ったらタダで出してくれたパラソルの下の日陰は、さわやかな風が通ってひんやり涼しい。
いいかげんに日焼け止めを塗っておいたら、手の甲から手首の内側側面にかけてが、真っ赤に日焼けしてしまった。
いろんな組合わせのダブルスをやって2時間たっぷりド素人テニスを楽しんでから、立ち寄り温泉「やまゆり荘」の食堂でそばを食べ、いつもの旅のごとく温泉に浸かる。それからちょっとゆったりして、アピアのオーナーがうちが仕入れてるアイスの方がずっとうまいと評した"開田高原アイス"--確かに列を作るほどうまくはない--を食べ、15:30ごろ帰路に着く。
今日は行きはあんなに空いていた中央道が、40kmの渋滞予測が出てるってニュースで聴いていたので、伊那インターで乗ってから中央道と長野道が別れる岡谷ジャンクションの手前の辰野PAに入り、渋滞情報がまったくない信じられないこのPAで、この旅で初めて(開田高原はイーモバサポート地域外なのよね)e-mobileを使って、広域交通情報をGetする。
中央道は既に20Km級の渋滞が2つできている。一方長野道-上信越道-関越道と辿る、70kmほど余計に走んなきゃいけない迂回ルートは、上信越道と関越道の合流点、藤岡ジャンクションで20km級渋滞が1つ。
藤岡ジャンクションはなにせホームグラウンドなので、避ける道も知ってるけど、中央道の渋滞はハマるとほんとに回避のしようがない曲者だ。
なので迂回ルートを採ることに決め、実は全線開通してからは初めて走る長野道に入る。今日はこの辺一帯の天気はほんとによくて、乗鞍や美ケ原が、もちろん秋冬のシャープさはないとはいえ、きれいに望めた。
走って行くうちに渋滞区間が少し増えてしまったけど、それでも中央道よりは多分マシだったはずだ。渋滞突入に備えおやつにおやきを買って小休止した横川SA(写真はこの時見た夕空)から下仁田ICにかけての6kmの渋滞を抜け、藤岡ジャンクションがネックのその時点では約30kmの渋滞は、甘楽PAから吉井ICの約3km引っかかっただけでICを降りて避ける。
ここから関越道と上信越道の合流後の最初のインター、息子の高校時代のホームグラウンド本庄ICまで、そこそこ通いなれた下の道を走って行く。254号に入ると混むのはわかっているので、ちょっと迂回して国道462号ってのを走ると、かなりのスピードで飛ばせ、信号もたまにしかない。この辺のノウハウ(って自慢するほどではないですが)をお知りになりたい方はコメントを書き込んでいただけば。
途中ガストでメシを食って、本庄で再び関越へ。花園インター前後で13kmほど混んだけど、これは3車線の渋滞なので平均30~40km/hほどで走れるそれほど厳しくないものだ。つーかやっぱ、このくらいの混み方なら景気のいい頃の関越の大渋滞に比べれば軽いものだ。
てことで都合約20kmほどの渋滞のみで済んで、正味運転時間6時間ほどで22:30ごろ家に着いた。行きは約4時間ほどだったから、さすがにちょっと長かったけど、覚悟していたほどではない。
しかし東名が開通して安全そうになった、ってだけで、今度は帰りの混み方が従来のようにさっくり戻るってのも不思議な話で。だって西の方行く人の数自体減ったはずなんじゃ?その仮説が間違っていたのかなぁ。東名を避けた人が中央に、その流れ込みを恐れた人が関越に、と1つずつずれたから、下りは関越と東北が混んだけど、行き先は変えず遠回りしても元の目的地にたどり着いていたってこと?その人たちが帰りは通常ルートを採ったために、やっぱり混んだと?
いやいや、なかなか解くのが難しい謎ですな。
てことで、疲れたけど、ただいま。今夜はちょいと異常なテンションでござる。
コメント