震災が起き、福島原発の事故が起き、避難指示区域が警戒区域になって、自分の家に帰れなくなった皆さんのさまざまな反応が報道された。こうなると勢いを増してくるのが原発反対論、原発無用論だ。世の中の多くのNPOやNGOが、いっせいにいろんな議論を始めているし、原発の安全性を主張していた推進論者が、軒並み懺悔を始めていると言う。
今回の事故で、過去の原発反対論が少し進化したように思う。ぼく自身も含めてまだまだ勉強不足ではあるとは思うけども、少なくとも「放射能」と聞いたときの、なんだか妖気が漂っているような、その妖気に触れると皮膚がただれてやけどして、ひどいとガンになるみたいな、そういう迷信、都市伝説の類から、ベクレルやシーベルトと言った単位やら、放射線治療のこと、レントゲンやX線CT、また高度1万メートルでの飛行による被爆などの情報に多く触れることができたことで、だいぶ科学的になってきた感じがするからだ。
だけど、原発事故の情報の出し方のまずさや、官房長官任せのディスクロージャーが、いろいろと批判されているのはやむを得ないとしても、原発そのものに関しては、ぼくは今のところニュートラルだ。
というのは、もちろんまっとうな議論につながる一課程としては意味あるのかもしれないけども、基本的に何かに反対すること自体は、前向きな、実際的なことだとは思えないからだ。反対そのものに、多くの場合迷信や都市伝説が含まれ、それが増幅されてしまうからだ。
例えば、「原発なんかなくたって、風力発電装置を関東地方の海岸一帯に設置すれば、関東の電力需要はすべて賄える」と言った議論。今の風力発電装置は、低周波音の公害の問題があるので、地上に設置するのはいろいろと問題が起きる。なら海上に設置すればいいじゃん、って言うんだけど、実際には沿岸漁業に問題が出ないように設置すると、せいぜい1000万Kwくらいの発電量にしかならないらしい。
しかもそのコストはどう賄うのか。海上設置となると当然ながらコストは跳ね上がるし、伝送路を確保するためには、これまた膨大な費用がかかることになる。
以前に我が家でも、太陽光発電を検討したことがあるって書いたことがある。今はその頃よりはだいぶコストが下がってきたようだけど、それでも家庭で投資コストを回収するには、10年かかると言われている。日本で主流の木造住宅で、例えば我が家のように築10年を越えているような家で、回収に10年かかる投資を行うのは、相当なリスクを伴う。そういう経済原則についての議論が伴わない感情的な反対論には、やっぱ組することはできないんだよね。
低周波公害の問題が起きないような、小型風車を組み合わせる技術を持ったベンチャーが、実は存在すると言う。だけどそういう優秀な技術を持ったベンチャーが、日本ではなかなか表に出てこられない。それは、発電→伝送→販売という、電力供給の3大機能を、すべて十大電力会社が独占しているからだそうだ。特に伝送の機能を独占されていることがネックで、いろんなメーカーの工場で持っている発電機能が、有効に生かされないことにもつながっているらしい。
また、日本の法律では余剰電力の販売しか認められておらず、全量販売はできない。このことが、企業による自家発電の妨げになっていると言う。その結果、日本の自家発電市場は、ほとんどを家庭の発電が占めることになっている。というのは、販売電力量の予測がしづらくなるために、企業が投資回収計画を立てづらくなるからだそうだ。
全量販売ができるように2000年に法律を改正したドイツでは、その当時6%に過ぎなかった自家発電比率が、10年で17%に増えたと言う。規制が技術の、ひいては自然エネルギー活用と言う、単なる反対ではない前向きな改善の芽を摘んでいる。
あるものに反対するのは、なくすことが目標だからわかりやすいし、だから多くの人がその議論に参加し、デモ活動とかにもつながりやすい。だけど自然エネルギーをいかに生めるようにするか、その比率を高める方策はどうすればいいか、という議論は、未知のものだけにわかりづらく、複数の方向性があるがために拡散する。そこにさらに、技術屋さんの得意分野ではない経済の問題が立ちはだかる。
実は震災の起きたまさにその3月11日に、日本でも電力の全量販売が閣議決定されていた。原発反対運動よりも、この決定を早く国会で議論して、法改正につなげていくほうが、よほど実際的だ。電力マーケットのオープン化を進める方が、よほど効果的だ。
経済は、科学と違ってそれ自身では何も生めないけども、その合理性が伴わないと、生まれたものは育てられない。生みの親より育ての親、という論理で言えば、場合によっては経済の方が世の中の進歩に役に立っていることもあるかもしれない。もちろん生んだことの方がわかりやすいから、伝記ものとかでは、ほとんどの主人公が科学者になってしまうけども。
自分が経済学部出身だから言うわけじゃないけど、経済的合理性を獲得するためのイノベーションが、実はとても大事だし、反対論じゃなくて、みんなそこにもっと知恵を集めようよ、っていう主張でした。
ちなみに、避難指示以来作業員が退避してしまったために、発信が止まっていた、日本で2ヶ所のうちの1つ、福島おおたかどや山の標準電波送信所が、先日の警戒区域指定の前日に復活した。防護服を着た作業員が行って、電源を入れてきたそうだ。
ぼくが目覚ましに使っている2台の電波時計のうち1台が、福島の電波にしか対応していなかったために、この1ヶ月でけっこう、時間がずれて来てしまっていたのが、昨日からまたぴったり合うようになった。経済的合理性ということとはちょっと逆のこと言うようだけど、こういう技術ってすごいし、電気って大事だよね。
電気を使わない生活をしているわけではない人が、今までさんざん世話になった電気の4割を生んでいた原発に反対するって言うのも、ぼくには胡散臭く感じられてしまう一因なのだと思います。
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