前回に続く濁河温泉旅行後編です。2日目の旅程の計画が午前中早々に崩れ去った後、の話ね。
仕方ないので一旦宿まで戻り、車で「チャオ御岳スノーリゾート」に行って、マウンテンバイクでスキー場下り、って奴に挑戦することにした。ちょっと待たされた間に宿で作ってもらったおにぎりを食べ、いいタイミングで呼んでもらって、ヘルメットと肘当て、脛当てを借り、少しマウンテンバイクの練習をして、ゴンドラで頂上まで登る。
1台後のゴンドラで上げてもらったバイクに乗り、言われたように施設保守用につけられた砂利道を目安にその周辺を下っていくんだけど、これが結構大変だ。下りが結構きつく、かなりの力でブレーキを握ってないといけない上、砂利道にはこれまた豪雨の影響だそうだけど、けっこう大ぶりの石がごろごろ転がっており、前輪ではこれを避けられても、後輪が思い切り取られる。
しかもカミさんが大のスピード恐怖症だったことを忘れていた。砂利道脇の草の生えた土部分を行く分にはよいが、急な砂利道ではバイクを降りて押していくと言う、何しに来たのかわからない状況で、これをたびたび待ってあげないといけない。
しかも途中から雨が降ってくるわ、ぼくはヘルメットがきつくてこめかみをぎゅうぎゅう締め付けられ、奥歯のあたりが痛くなってくるわ--頭でっかち用のメットも用意しとけっつーの--で、1h分の料金だけど、降りてきた時点でまだもうちょっと時間があるんで、もう1回行ってきていいですよ、と言われたけども、やめて引き上げることにした。
旅館に帰ってきた時点でまだ2時半ごろ。それから温泉--誰もいなくて、雨だけど露天にも一部に屋根が(男風呂には大きな傘が)かけられていて気持ちよく入れる--に浸かって3時過ぎからビールを飲む。こんな贅沢アリ?もう最高っす。その時間を使ってこのブログを書いたりした。
その後雨が激しくなり、2日目の夜は星は全く見えず、スキー場は雷雨になって、ゴンドラの夜の運転は中止になったってことで、晩飯は早い時間にしておいたのに、残念ながらツアーには行けずじまいになった。
その代わりゴンドラ頂上のレストランで演奏される予定だったカントリーバンドのコンサートが、「旅館御岳」のロビーに場所を移して行われたので、それを観に行った。一般客で観に来ていたのはたぶん6人だけ。ギター&ボーカルとバイオリンの女性2人組だったけど、彼女たちはどうやって生計立ててるんだろう?がんばって欲しいなぁ。
3日目は9時半ごろ宿を後にし、初日に来た道を戻って、開田高原半ばから木曽街道を右折して御岳山の裾を回る道に入り、途中道を間違えたりしながら2時間ほど走って、木曽の上松町にある「赤沢自然休養林」というところに行く。
ここは日本三大美林の1つとされ、1600年代半ばから尾張藩が保護、明治期には御料林に、戦後からは国有林となったところで、原生林ではないが樹齢300年以上の天然木曽ヒノキが森を成しており、1970年から80年代初めにかけて、林野庁が主催して日本初の森林浴が行われたと言う、森林浴発祥の地だ。
濁河温泉からは距離もかなりあり、標高も1,000mほどでそれほど高くはないので暑いかもとも思ったが、「森林浴発祥の地」と言われてしまうと、ここ何年か日本各地の森を歩き、3,4ヶ月に1度は森に行かないとなんだか息苦しさを感じる体になってしまった森好き夫婦の我々としては、スルーはできない。実際、森林浴の効果ってのも、この森で学術的に検証されたそうで、その結果はこのページのグラフの通りなのだけど、これが遊歩道際に掲示されていたりする。
11時半ごろ到着した時には、残念ながら雨がザーザー降りになってしまい、気温は24度ほどで暑くはなかったが、湿度が高くて防水ヤッケを着ていくと汗をかきそうだったので、これをリュックに詰め、ジーパンの裾を3つ折りにし、傘を差して出かけた。この雨続きはこれまた予想外だ。
7つほどの幅の広い遊歩道のコースが森の中に整備されており、木道か、地面を直接歩くところにも多くはウッドチップが敷き詰められていて、傘を差していても大変歩きやすい。傾斜を登る場所でもそれほど急な坂はなく、コース案内の立て札がきっちり立てられていて、迷うことはない。
森は、ヒノキの他にも一部には杉が高く聳え、下生えからは東北ではヒバと呼ばれるヒノキの仲間、アスナロがたくさん生えてきている。もちろんそれら針葉樹の間の高さには、いろいろな広葉樹が育ってきており、とても美しい。これで晴れていたら最高なのにと思っていたら、歩くうちに雨が弱まり、稀に陽も射すようになってきて、必死で写真を撮ったけども、ほんの一瞬ですぐ陰っちゃうから、ホントに難しかった。
バーベキュー施設とか魚のつかみ取りとか、30分に1本森林鉄道が走っていたりして、ここは子供連れが大変多い。確かに人工物のカタマリの遊園地とかに連れて行くよりは、教育上は遥かによろしい。親としても遊園地に子供たちを放つ諦め感、と言うか多少感じる罪悪感がほとんどないんだろうなぁと思う。
2時間弱で3つのコースを歩いて、食堂とかがある場所に戻ってきてそばを食い、「赤沢自然休養林」を後にする。車で国道19号を木曽川上流方向へ戻り、開田高原に行く木曽街道(国道361号)が別れる交差点を、1日目とは逆方向から来て左折して、そこから2kmほどの場所にある「せせらぎの四季(とき)」という立ち寄り温泉に浸かる。濁河温泉と同じ茶褐色だが弱酸性だと言う内湯・露天は、なかなか気持ちいい。
夕方4時前になり、いよいよ家路につく。木曽谷では雨はほとんど止んでいたが、権兵衛トンネルを抜けると、伊那谷は大変な雨模様だ。高速を走って行くうちに雨は弱まったが、さすがにこの日はお盆当日、中央道名物の小仏トンネルを頭にする渋滞は、抜けるのに大月から110分(笹子トンネル手前からだと2時間もしくはそれ以上)かかると言う。
こんな時は、あらかじめ調べておいた裏道だ。以前にも一度走ったことがある山梨県道35号線ってやつに、大月から富士吉田方向に走った1つ目の都留インターを降りて入るんだけど、以前は地図と首っ引きの自前手探りだったのが、ある優秀なサイトの研究成果を発見して、これを参考に、曲がる交差点の目印とかを、事前にGoogleストリートビューを駆使してEvernoteに書いといたんだよね。
前は直接圏央道まで行くコースをたどり結構時間がかかったのが、このサイトによると、まだ渋滞区間ではあるが、相模湖インターからなら小仏トンネルまで6kmしかないし、上野原から先はこの渋滞は結構流れると言うので、言われた通り相模湖インターに出て中央道に戻ると、小仏トンネル内の渋滞の先頭まで大月から70分で行けた。約40分の時間短縮だ。これは素晴らしい。
圏央道~関越と順調に進んで、8時半過ぎには新座駅そばの「餃子王将」に着いた。餃子2人前のセットのごはんを大盛にすると、老年2人には充分お腹いっぱいになる量が、わずか832円(税込み)という値段で食べられる。「餃子王将」恐るべし。
しかし夜でも暑いわ。今日はもう風呂に入らない予定なのに、スマホでエアコンのスイッチを入れられるのを直前まで忘れていたこともあり、予想外に9時過ぎという早い時間に帰り着いたのはよいものの、車から荷物をリビングまで運び入れるだけで、結構汗をかいてしまった。
やっぱもうちょっと高原にいたかったなぁ、と毎年繰り返される会話をして、今年の夏休み前半--旅行の部--はおしまい。いつかまだ耄碌しないうちに、1ヶ月くらいこの開田高原で何もしないでボーっとしていたいと言ったら、カミさんには私は何もしないでのんびりってのは無理かな、と言われた。いやいや、実際は意外にそうでもないんじゃないの?おかあちゃん。どうせぼくも、貧乏性だからなんだかんだ動いちゃうだろうし。
夜8時から3時間かけて行われた「健康」のゲネプロは一応無事終了。でも昼に家で今回のセットリストをひと回し練習して、ゲネプロでさらに2回しすると、寄る年波には体力の限界だ。というか集中力が途切れてミスが増える。耳鳴りで薬を飲んでるのと、もうほとんど直ったけども軽い夏風邪の影響もあるのかな。本番は久々にリポDの類に頼るか。最近は舞い上がって力が入ったりはしなくなってきたのでね。
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